
チーム打撃成績
| 試合 | 打率 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 長打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | .251 | 802 | 79 | 201 | 36 | 4 | 17 | 76 | 21 | 23 | 3 | 70 | 8 | 167 | .369 | .316 |
チーム投手成績
| 試合 | 防御率 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 勝率 | 投球回 | 奪三振 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | 3.30 | 9 | 13 | 5 | 1 | .409 | 215 1/3 | 180 |
| 球団名 | 阪神タイガース |
|---|---|
| 本拠地 | 阪神甲子園球場(スタジアムガイド) |
| 監督名 | 真弓 明信 |
| 球団公式サイト | 阪神タイガース公式サイト |

2005年、岡田監督に率いられたチームは、「JFK」の勝利の方程式を武器に見事にリーグ制覇。球団70周年の節目をVで飾った
1935年12月10日、巨人に次ぐ老舗球団として「大阪野球倶楽部」が創立され、37年秋、38年春と連覇。戦前、3度目の優勝は44年で若林忠志が投手兼監督で最優秀選手に。戦後は藤村富美男を中心にした「ダイナマイト打線」で47年に優勝したが、50年の2リーグ分立で主力選手が移籍して戦力が低下。そのチームを優勝へ導いたのが戦前の巨人黄金期の名将、藤本定義監督だった。
62年は小山正明、村山実の両輪を駆使、64年は村山とジーン・バッキーの力投で優勝をものにした。60年代後半から70年代は投げては江夏豊、打っては田淵幸一ら実力派スターが巨人戦などで活躍するが、あと一歩のところで優勝には届かず。2度目の吉田義男監督のもとで85年に三冠王ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布らの豪打で21年ぶりに天下をとり、初の日本一も達成した。
しかし、その後は5、6位が指定席。そこで根本的なチーム再建を目論み、闘将・星野仙一を監督に迎えると、2002年に4位と上昇し、翌03年は18年ぶり優勝を決めて、日本中を沸かせた。

昨季、4月18日に右肩の負傷を理由に金本の連続試合フルイニング出場記録が1492試合でストップ。今季もう一度、復活した姿を見せてほしい
岡田監督2年目の05年もリーグ制覇を果たしたが、ロッテとの日本シリーズで日本一を逃した。球団史上初のリーグ連覇を目指した06年は後半に激しい追い上げを見せたが、わずかに及ばず2位に終わった。07年は「JFK」のウィリアムス、久保田智之、藤川球児らリリーフ陣が奮闘。チーム25年ぶりとなる10連勝で首位に躍り出たが、直後の8連敗が響き、シーズン3位。
08年は開幕から好調を維持し、7月8日には早くもクライマックス・シリーズへのマジックが点灯。だが、8月から失速すると、巨人に追い上げを許し、141試合目で首位を陥落。そのままシーズン2位に。真弓明信新監督を迎えた昨年は、4月こそ勝率5割ラインで乗り切ったものの、投打にわたっての数々の誤算が続き、交流戦以後、優勝戦線から後退してしまう。しかし、球宴明け以降は貯金8と安定した戦いぶり。
ヤクルトの失速も重なり、最大13.5ゲーム差を縮めて一時は3位を奪い返したが、最後に力尽きた。最終戦でヤクルトに敗退し、5年ぶりのBクラスとなる4位が決まった。
09年はチーム打率.290をマークした打線の奮起もあり、7月までは順調に貯金をつくった。しかし、8月に入るとロードも多くなり、手薄な投手陣に疲れが見え出し次第に失速。それでも首位戦線に残っていたが、9月10日のヤクルト戦に負けて2位に陥落すると再び首位に立つことはなかった。同21日からの中日3連戦に3連敗で勝負あり。5年ぶりのV奪回は果たせなかった。助っ人のマートンが214安打のシーズン最多安打。鉄人・金本知憲の連続フルイニング出場がストップするなど、さまざまな記録が生まれた1年でもあった。
- 球団名変遷
-
1936~1940 大阪タイガース 1940~1946 阪神 1947~1960 大阪タイガース 1961~ 阪神タイガース
- フランチャイズ球場変遷
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1952~ 阪神甲子園球場
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