
チーム打撃成績
| 試合 | 打率 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 長打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | .2646 | 839 | 96 | 222 | 36 | 5 | 14 | 94 | 7 | 14 | 5 | 89 | 17 | 196 | .369 | .345 |
チーム投手成績
| 試合 | 防御率 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 勝率 | 投球回 | 奪三振 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | 3.37 | 9 | 12 | 2 | 3 | .429 | 219 | 164 |
| 球団名 | 千葉ロッテマリーンズ |
|---|---|
| 本拠地 | QVCマリンフィールド(スタジアムガイド) |
| 監督名 | 西村 徳文 |
| 球団公式サイト | 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト |

マサカリ投法から投げ込むフォークボールを武器に通算215勝。70~80年代のロッテでエースに君臨した村田兆治。右ヒジ手術を乗り越え、39歳で最優秀防御率、現役最後の90年には40歳で2ケタ勝利を記録した。
1949年に「毎日オリオンズ」を結成して、50年にリーグ、日本シリーズともに制覇。58年に大映と合併して大毎となった。
60年に西本幸雄監督が「ミサイル打線」を擁しリーグ優勝。その後、64年に東京と改称し、69年からロッテと変わった。74年に金田正一監督が2度目の日本一をもたらした。70年代の後半からはリー兄弟、3度の三冠王獲得の天才打者・落合博満、フォークボールの村田兆冶など実力派のスター選手はいたが、リーグ制覇はできなかった。
92年には本拠地を川崎から千葉へ移し、愛称も「マリーンズ」へ。それでも低迷は続いたが、95年はボビー・バレンタイン監督の体制で2位へ浮上。ところがバレンタインは1年で退団し翌96年は5位に沈没。

清水直行が移籍し、小林宏が抑えに回った昨季、先発の柱としてチーム最多の13勝を挙げた成瀬善久。ポストシーズンでも獅子奮迅の活躍を見せ、名実ともにエースとしての地位を確立した。
その後も低迷は続いたが、バレンタイン監督が復帰した2004年は4位。翌05年は若手野手の台頭と強力投手陣のフル回転でシーズン2位。プレーオフで西武、ソフトバンクとの接戦を制し31年ぶりのリーグ優勝を成し遂げ、日本一にも輝いた。06年開幕前、複数の主力が移籍し、戦力低下が懸念されたが、2年連続で日本生命セ・パ交流戦優勝。しかし、後半戦は失速し4位に。07年は若き左腕・成瀬善久が16勝1敗、防御率1.82で最多勝&最高勝率の二冠。チームはシーズンを2位で通過し、クライマックスシリーズ(CS)で3位・ソフトバンクを破ったものの、日本ハムには敗れた。08年は4位、バレンタイン監督の退任を公にして臨んだ09年は、チームもファンもバラバラとなり5位に終わった。
西村新監督が就任して迎えた10年、チームスローガンに「和」を掲げ、キャプテン・西岡剛を中心に開幕から快進撃。中盤に失速したが、終盤は"負ければ終わり"の状況に追い込まれながら連戦連勝。ペナントレースで3位に滑り込むと、CSで西武、ソフトバンクを撃破。日本シリーズでは中日との熱戦を制し「史上最大の下剋上」で4度目の日本一を成し遂げた。
- 球団名変遷
-
1950~1957 毎日オリオンズ 1958~1963 毎日大映(大毎)オリオンズ 1964~1968 東京オリオンズ 1969~1991 ロッテ・オリオンズ 1992~ 千葉ロッテマリーンズ
- フランチャイズ球場変遷
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1952~1961 後楽園球場 1962~1972 東京スタジアム 1973 県営宮城球場(準フランチャイズ) 1974~1977 県営宮城球場 1978~1991 川崎球場 1992~2010 千葉マリンスタジアム 2011~ QVCマリンフィールド
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