
チーム打撃成績
| 試合 | 打率 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 長打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | .260 | 850 | 112 | 221 | 46 | 5 | 28 | 110 | 24 | 16 | 6 | 69 | 11 | 203 | .425 | .322 |
チーム投手成績
| 試合 | 防御率 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 勝率 | 投球回 | 奪三振 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | 4.11 | 11 | 11 | 4 | 2 | .500 | 216 2/3 | 168 |
| 球団名 | 埼玉西武ライオンズ |
|---|---|
| 本拠地 | 西武ドーム(スタジアムガイド) |
| 監督名 | 渡辺 久信 |
| 球団公式サイト | 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト |

来季はポスティング移籍もささやかれる中島。今季もチームの主軸としてけん引する
西鉄クリッパーズと西日本パイレーツが51年2月に合併して「西鉄ライオンズ」が誕生。三原脩監督は精力的に戦力強化で東急の大下弘、高校球界から中西太、豊田泰光を獲得し54年に初優勝、鉄腕・稲尾和久の登場で56年から3年連続で巨人を撃破し3連覇。中西兼任監督の63年にも優勝するが、69年に起きた黒い霧事件がチームに大きな衝撃を与え、西鉄としての栄光の歴史は72年に終焉。73年に太平洋クラブ、77年にクラウンライターとなり、79年には本拠地を埼玉県所沢市に移し「西武ライオンズ」が誕生した。
82年に就任した広岡達朗監督が2年連続日本一に導き、森祇晶監督になった86年からは3年連続日本一。1年あいて90年からは再びV3に輝いた。95年からは東尾修監督が就任し、世代交代を成功させた97年から2連覇。伊原春樹監督が就任した2002年はV奪回。そして、伊東勤監督となった04年は、公式戦2位ながらプレーオフ、日本シリーズを勝ち抜いて12年ぶりの日本一に。06年はエース・松坂大輔が自己最多の17勝を挙げ、次代のエース・涌井秀章(12勝)が飛躍し、リーグ2位でプレーオフに臨んだが第1ステージで敗退した。松坂の抜けた07年は、その穴は松坂の高校の後輩・涌井秀章が17勝して埋めたが、日本生命セ・パ交流戦で9勝15敗と大きく負け越したのが響き、26年ぶりにBクラスに転落した。

今季も切り込み隊長として、5年連続盗塁王を狙う片岡
渡辺久信監督が就任して心機一転の08年は、若手選手がのびのびと力を発揮した。46本塁打で初の本塁打王となった中村剛也をはじめ5人が20本塁打をクリア。同時に50盗塁で盗塁王となった片岡易之を先頭にリーグ最多の107盗塁と機動力も併せ持ち、年間715得点をたたき出して4年ぶりのリーグ制覇。日本シリーズでも岸孝之の力投もあり逆転でこれまた4年ぶりの日本一に輝いた。連覇を狙った09年は、涌井秀章が沢村賞に輝き、中村剛也(本塁打、打点)、中島裕之(最多安打)、片岡易之(盗塁)らもタイトルを獲得したが、中継ぎ陣の崩壊で逆転負けが多く、5割の勝率を残したもののBクラスの4位に終わっている。10年は4月に大きく勝ち越し首位に立ったが、後半戦でたのみの中継ぎ・抑え投手陣が踏ん張れず、マジック4を点灯させながらも143試合目でまさかのV逸となった。シコースキーが最多セーブ(33S)、片岡易之が盗塁王(59個)のタイトルを獲得した。
- 球団名変遷
-
1950 西鉄クリッパース 1951~1972 西鉄ライオンズ 1973~1976 太平洋クラブ・ライオンズ 1977~1978 クラウンライター・ライオンズ 1979~2007 西武ライオンズ 2008~ 埼玉西武ライオンズ
- フランチャイズ球場変遷
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1952~1978 平和台球場 1979~1997 西武ライオンズ球場 1998~2004 西武ドーム 2005~2006 インボイスSEIBUドーム 2007 グッドウィルドーム 2008~ 西武ドーム
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