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福岡ソフトバンクホークス

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2010年日本生命セ・パ交流戦の成績

チーム打撃成績

試合 打率 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 長打率 出塁率
24 .2648 774 116 205 42 4 32 113 15 22 9 77 11 146 .453 .336

チーム投手成績

試合 防御率 勝利 敗北 セーブ 完投 勝率 投球回 奪三振
24 2.84 18 5 8 4 .783 212 1/3 165

チーム概要

球団名 福岡ソフトバンクホークス
本拠地 福岡Yahoo!JAPANドーム(スタジアムガイド)
監督名 秋山 幸二
球団公式サイト 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト

チームの歴史


日本生命セ・パ交流戦の3連覇はならなかったが(3位)、秋山監督を中心に「1点にこだわる野球」で粘り強く戦ったチームは最終盤に怒とうの5連勝。9月26日の楽天戦、3回の攻撃中にマジック対象の西武が敗れ、7年ぶり優勝が決定した

南海の創設は1938年3月で、戦前は8位が3回だった。

戦後再開の1年目、46年に山本(のち鶴岡)一人が選手兼任監督として大活躍して優勝し、翌47年から愛称が「ホークス」となって48年も優勝。50年の2リーグ分立を受けてパ・リーグへ加盟してからは51~53年、55年とリーグ優勝を飾った。

59年にエース・杉浦忠が38勝してリーグ優勝し、日本シリーズでも杉浦の4連投で巨人を破って念願の日本一に。その後、61、64~66年にリーグ制覇し、64年はスタンカの活躍などで2度目の日本一にも輝いた。65年には野村克也が戦後初の三冠王となる。その野村が70年に選手兼任監督となり73年に覇権を奪回したが、野村監督が去った78年からBクラスが続き、88年限りで「南海ホークス」は幕を閉じた。

本拠地を大阪から福岡に移し、「福岡ダイエーホークス」となっても低迷は続いたが、95年に王貞治が監督に就任すると、99年に悲願の優勝を果たして日本一、翌2000年もリーグ連覇を達成した。若手が台頭した03年は3年ぶりに日本一に。04年は公式戦1位ながらプレーオフで惜敗。ソフトバンクとなった05年も公式戦1位だったが、プレーオフで2位・ロッテに敗れてペナントを取れなかった。

06年は斉藤和巳、松中信彦らが王監督の休養・離脱後もチームを支えたがシーズン3位、プレーオフでも西武に敗れた。07年は、日本生命セ・パ交流戦で貯金を減らしてしまい、シーズン3位。クライマックス・シリーズでは2位・ロッテに阻まれた。


2年連続2ケタ勝利に届かず、危機感を抱いて臨んだ左腕・和田は、17勝で最多勝&MVPに輝く最高の結果を残した。日本生命セ・パ交流戦でも5勝をマークし、歴代最多の交流戦通算18勝を記録した

08年は日本生命セ・パ交流戦では15勝9敗で初優勝したものの、9月に5勝18敗と大崩れし、12年ぶりの最下位。王監督から秋山監督へと代わった09年は、18勝5敗1分けの断トツトップで日本生命セ・パ交流戦を連覇。結局は、終盤に楽天に抜かれてシーズン3位。クライマックス・シリーズでも楽天に2連敗という結果だったが、投げては新人王・攝津、打っては打率.312を記録した長谷川や、正捕手・田上の活躍と若手が台頭。明るい未来を予感させるシーズンとなった。

そして10年、故障者を出したながらも、ぺタジーニの獲得など迅速に動いたフロントに後押しされ、粘り強く戦ったチームは、9月、残り6試合で首位西武と3.5ゲーム差という絶望的な状況に追い込まれながら、9月18日からの直接対決3連戦すべて逆転で3連勝と勢いづき、最後はゲーム差0.5という大接戦の末、奇跡の逆転で7年ぶりリーグVを遂げた。17勝で最多勝・MVPを獲得した和田に、16勝の杉内、そして「SBM48ちょ」の愛称が付いた救援陣を原動力に、打っては多村がチーム打撃三冠、本多が59盗塁で盗塁王に輝くなど、打線のキーマンとなった。ただし、クライマックス・シリーズではロッテに下剋上を許し、日本シリーズ出場ならず。11年はリーグ連覇、そして悲願の日本一を目指すシーズンとなる。

球団名変遷
1938秋~1944 南海
1944 近畿日本
1946~1947 近畿グレートリング
1947~1988 南海ホークス
1989~2004 福岡ダイエーホークス
2005~ 福岡ソフトバンクホークス
フランチャイズ球場変遷
1952~1988 大阪球場
1989~1992 平和台球場
1993~2004 福岡ドーム
2005~ 福岡Yahoo!JAPANドーム

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