
チーム打撃成績
| 試合 | 打率 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 長打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | .247 | 794 | 71 | 196 | 28 | 3 | 12 | 69 | 17 | 16 | 7 | 60 | 12 | 136 | .335 | .307 |
チーム投手成績
| 試合 | 防御率 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 勝率 | 投球回 | 奪三振 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | 4.18 | 9 | 15 | 6 | 2 | .375 | 211 | 161 |
| 球団名 | 東北楽天ゴールデンイーグルス |
|---|---|
| 本拠地 | クリネックススタジアム宮城(スタジアムガイド) |
| 監督名 | 星野仙一 |
| 球団公式サイト | 東北楽天ゴールデンイーグルス・オフィシャルサイト |

09年はパ・リーグで2位となり、創設5年目にして初のAクラス入りを果たし念願のCS進出。第1ステージを見事に突破し、Kスタ宮城のファンとともに喜びを分かち合った
2004年6月に突然発表されたオリックスと近鉄の統合に始まり、大きなうねりを経て新規参入球団の審査が行われると、仙台を本拠地にした楽天が承認され、50年ぶりの新規参入球団として東北にプロ野球チームが誕生した。
ファームの拠点を山形(06年からは仙台)に置き、背番号10はファンのものとして欠番にするなど、地域密着を強く意識した経営方針で注目を集め、田尾安志監督で記念すべきファースト・シーズンに挑んだ。
チーム力の不安定さから厳しい戦いが続いたが、日本生命セ・パ交流戦途中からチームのまとまりも出てきて、7月は10勝9敗1分けと球団史上初の月間勝ち越しをマーク。それでも8月に11連敗を喫し、最後は38勝97敗1分けという不甲斐ない成績に終わった。
06年は名将・野村克也監督を迎えて、打線はリック、フェルナンデス、鉄平、高須洋介と4人が3割をクリアし、チーム打率はリーグ4位(.258)、盗塁数はリーグ2位(75個)、防御率も05年の5.67から06年は4.30と大幅に改善された。ただ、ここ一番での一打の不足などで、2年連続の6位に終わった。
07年は、一時は3位に浮上するなど奮闘、球団創設3年目にして再下位脱出を果たし、4位で終えた。田中将大は、高卒1年目では松坂大輔以来となる2ケタ勝利(11勝)、新人王に輝いた。一方、プロ21年目の山﨑武司は本塁打43、打点108で二冠王。野村監督の野球が他チームを脅かし始めた。

10年8月31日のロッテ戦(千葉)では、史上9番目に速いプロ通算100勝に到達した岩隈は、捕手・嶋からウイニングボールを受け取った
08年は、4月3日に球団史上初の単独トップに立ち、日本生命セ・パ交流戦でも13勝11敗と初めて勝ち越した。しかし7月に5勝17敗と失速し、結局5位。ただ、エースの岩隈久志は最多勝(21勝)、防御率1位(1.87)、勝率1位(.840)の投手三冠でMVPを獲得、リックも打率.322で首位打者に輝いた。
09年は開幕カードの日本ハム戦3連勝など好スタートで5月上旬まで首位。日本生命セ・パ交流戦までAクラス争いを展開した。7月に7勝13敗と負け越して一時5位まで落ちたが、8月から再びチーム状態は上向き、野村監督最終年で遂に悲願のAクラス入り(2位)、CSは第2ステージまで進出した。岩隈、田中、永井怜の先発3本柱が2ケタ勝利、鉄平は打率.327で初の首位打者を獲得した。
マーティー・ブラウンを指揮官に迎えた10年は、開幕から痛い4連敗。先発3本柱は健在も、投打の歯車がかみ合わずに4年ぶりの最下位に沈んでしまう。史上まれに見る大混戦となったパ・リーグで1度もAクラス入りができなかったこと、何より前年のリーグ2位からの大きな期待があったなかでの停滞に、ブラウン監督は電撃解任。10月には星野新監督が就任し、メジャー帰りの松井稼、岩村など大型補強も行い、11年の巻き返しを誓っている。
- 球団名変遷
-
2005~ 東北楽天ゴールデンイーグルス
- フランチャイズ球場変遷
-
2005~2007 フルキャストスタジアム宮城 2008~ クリネックススタジアム宮城
このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。
本ページに掲載されている写真の著作権は、特記されているもの以外すべて株式会社ベースボール・マガジン社に帰属します。












