
チーム打撃成績
| 試合 | 打率 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 長打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | .284 | 820 | 117 | 233 | 44 | 3 | 21 | 110 | 18 | 25 | 7 | 87 | 4 | 161 | .422 | .353 |
チーム投手成績
| 試合 | 防御率 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 勝率 | 投球回 | 奪三振 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 24 | 3.19 | 14 | 9 | 8 | 2 | .609 | 217 1/3 | 173 |
| 球団名 | 中日ドラゴンズ |
|---|---|
| 本拠地 | ナゴヤドーム(スタジアムガイド) |
| 監督名 | 落合 博満 |
| 球団公式サイト | 中日ドラゴンズ Dragons Official Website |

2010年、4年ぶりのリーグVを成し遂げた落合竜。「投手王国の健在」が優勝を呼び込んだ
新愛知新聞の主導で1936年1月、「大日本野球連盟名古屋協会」として発足。戦前は下位を低迷する地味なチームだった。
54年に「フォークボール」の杉下茂と四番打者・西沢道夫を中心としたチームは天知俊一監督のもと一致団結、日本シリーズでも西鉄を下して初優勝を遂げた。
その後は本塁打王の森徹、盗塁王の中利夫と高木守道、最多勝・権藤博、2年連続首位打者になった江藤慎一と多彩なスター選手が登場したが、優勝には一歩届かず。
だが、与那嶺要監督3年目の74年には最多勝の松本幸行、初のセーブ王・星野仙一らが活躍し、巨人のV10を阻止。近藤貞雄監督の2年目の82年には最終戦で凱歌をあげた。
87年に星野監督が登場、ロッテから落合博満を獲得し、郭源治投手をストッパーにして88年にリーグ優勝。

昨年、守護神・岩瀬の前で投げた浅尾はフル回転。72試合に登板して防御率1.68、日本記録の47ホールドを記録した
97年はナゴヤドーム元年にもかかわらず最下位だったが、第二次政権の星野監督の下、99年に11年ぶり5度目の優勝を飾った。
04年に3度の三冠王に輝いた落合が新監督に就任すると、守り勝つ野球で5年ぶりのリーグ優勝を果たすが、またも日本一はならず。
06年は川上憲伸、岩瀬仁紀、谷繁元信、T.ウッズ、井端弘和、荒木雅博、福留孝介らレギュラー陣に朝倉健太、森野将彦らが加わり、9月に阪神との球史に残る激戦を制してリーグ優勝を飾ったが、日本シリーズでは日本ハムに日本一を阻まれた。07年は前半戦を首位で折り返し。シーズンは2位で終えたが、クライマックスシリーズで阪神、巨人を破った。そして、日本シリーズでは06年チャンピオンの日本ハムを4勝1敗、最後は完全試合リレーで倒し、53年ぶりの日本一を決めた。
08年は山本昌が通算200勝を達成したが3位死守がやっと。昨年は吉見一起とチェンのWエースが躍動し、新助っ人・ブランコがパワーと勝負強さで本塁打、打点の2冠を獲得した。しかし、総合力では巨人に太刀打ちできず、12ゲーム差をつけられての2位に終わり、クライマックッスシリーズでも力の差を見せつけられた。だが、昨年は違った。夏場に5試合連続完封勝利を飾るなど群を抜く投手力で巨人、阪神を追い詰め、9月に入って逆転。4年ぶりのリーグ優勝を飾り、クライマックスシリーズでも完勝。だが、日本シリーズではロッテの前に苦杯をなめ、悲願の日本一には届かなかった
- 球団名変遷
-
1936~1943 名古屋 1944 産業 1946 中部日本 1947~1950 中日ドラゴンズ 1951~1953 名古屋ドラゴンズ 1954~ 中日ドラゴンズ
- フランチャイズ球場変遷
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1952~1975 中日球場 1976~1996 ナゴヤ球場 1997~ ナゴヤドーム
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